第1098回例会報告 (2018年05月30日)

司会

佐藤輝彦会員

点鐘

栗山義広会長

ロータリーソング斉唱

「手に手つないで」

「四つのテスト」唱和

ソングリーダー:尾身委員

「ロータリーの目的」唱和

本多信雄副会長

来賓・
ゲストスピーカー紹介

栗山義広会長

ゲストスピーカー 篠塚慎之介様(当クラブ会員)

ビジター紹介

山田会員

杉本智様(飯塚会員ゲスト)
井上タケヒト様(パラオ諸島・スバRC)
猪越行広様(東京向島RC)

会長報告

栗山義広会長

・青少年奉仕フォーラムにご参加いただき有難うございました。改めて青少年奉仕を考えました。朝ごはんを食べられない子どもたちがこの江戸川区にたくさんおり、そんな子どもたちのためにこども食堂があります。親が、政治が、企業が、何が出来るか考えます。一部の企業ががんばっても限りがあります。やはり政治から変えていかないと世の中は変わらないと改めて思いました。
 来週S会員の整備工場に、こども食堂のおやつの時間を使って、本多副会長と見学に行きます。私にも何か出来ないかと、先日開設した千葉支店に千葉県の支援学校からの依頼があり、学校、保護者、本人が弊社に訪れました。会うと普通の子達で、少し心を閉ざしてしまったとかで、改めて思い知らされました。企業はそういう人たちを受け入れなければらないと思いました。ある子は、車が好き、特にきれいな車が好きと話していましたので、トラックの洗車する仕事がしたいとのことでした。安全第一で、職業体験を10日間することを受け入れ、社会貢献できる企業になれるようがんばろうと思います。

幹事報告

高橋映治幹事

・6月29日(金)の今年度最終夜間例会の閉会時間を20時30分に変更させて頂きました。出席の有無をご連絡下さるようお願い致します。

・6月ロータリーレートは、1ドル=110円に変更です。(現行1ドル=108円)

卓話

当クラブ会員 篠塚慎之介様

卓話

『イニシエーションスピーチ』

本日は皆様の貴重なお時間をいただき、有難うございます。出来る限りの自己紹介、私のこれまでの36年間をお伝えさせて頂きますので、よろしくお願いします。
 1980年10月30日、A型、母の実家の神奈川県川崎市多摩区で生まれました。父は千葉県旧佐原市、現在の香取市出身です。銚子と並び、篠塚姓が多く、父の実家も三軒隣まで篠塚姓です。
 そんな父を紹介させて頂きますと、現在は実家の香取市に出戻りして、年金暮らしですが、当時は「珈琲館」という喫茶店チェーンのフランチャイジーでした。今はUCDグループですが、17年間オーナーを務めていました。小田急線の向ヶ丘遊園という駅でしたが、バブル崩壊の直前にドトールが進出してきて、価格競争になり、そこから経営不振になり、2002年に経営に幕を下ろしました。経営にとどめを刺したのが私で、当時大学二年生だった私が、信用金庫の担当の方に、債務履行から逃げていた父の居所を教え、さらに自転車で案内までした記憶があります。今ではドトールを利用することが多いですが、そのたびにその記憶が脳裏をかすめます。
 そんな父の風貌は、所ジョージをちょっとハードにしたようなイメージです。坊主頭にピアス、皮パンに革ジャン、ハーレー乗りで、私生活は愛人がおりました。父の店の2階に美容室があり、小中学生時代はその父の浮気相手に髪を切ってもらっていました。そんな家庭環境なので、物心つくと家族への関心は思春期と相まって、どんどんなくなっていきました。
 私の経歴ですが、3歳までは祖師ヶ谷大蔵、6歳までは八王子市南大沢、再度祖師ヶ谷大蔵に戻り、高校二年生のときに川崎市多摩区生田に移住します。教育だけは残してあげたいと、東横学園に小学校から通いました。1学年に2クラスしかない、バブルの恩恵でプチボンボン生活、卒業文集での夢は母校での先生でした。それも恩師の沖田先生との出会いであり、その後の進路も色々アドバイスをもらっておりましたが、口利きをしてもらったうえ、児童会長までさせていただき、ずうずうしさも甚だしいと思います。
 このころ友人がやっていたアイスホッケーをやりたいと申し出たのですが、スケートリンク終了後の遅い時間の練習だったので、親が認めてくれませんでした。そのため習い事はスイミングスクールでしたが、ここでは小学校の知り合いがいない環境で、汚いと言われたり、無視されるという軽いいじめを受けました。
 中学高校は、明治大学付属中野高校です。ここから念願のアイスホッケーを始めました。高田馬場のチームにはいりましたが、このころから家が嫌いになります。部活にだけ力を注ぐという体勢に。しかもアイスホッケーは東京に7チームしかなく、インターハイに行くのも簡単でした。しかし私が3年生のときに全国大会に出場しましたが、全国レベルを知り、悔しすぎて大学でも続けました。ただ生活が高校2年生ぐらいから陰りはじめ、住まいも世田谷区ではなくなりました。
 福田監督との出会いがあり、その後の大学へのアイスホッケー活動に影響を受けます。
 大学は明治大学政治経済学部政治学科に付属校推薦で進みました。体育系のスケート部に入部しましたので、全寮制で家から出られてラッキーと思っていました。寮生活の厳しさにやめたくなりましたが、続けられたのは大好きなアイスホッケーを続けたかったのと、家に戻りたくなかったから。そして同期の仲間に恵まれたからだと思います。自分以外は全員スポーツ推薦のホッケーエリート、私は下手すぎてパシリでした。同期からもパシリ。久しぶりにいじめにもあい、結構な挫折感と、閉塞感を感じていましたが、一生懸命練習に励んでいたから、同期の多くは人としては認めてくれて、その後も続けられました。技術的にはまだまだでしたが、見返してやろうという反骨心から、4年生でギリギリベンチ入りし、インカレ3連覇もしていたのもあり、完全な世間知らずの調子に乗っていました。ちなみに私が大学1年生のときに両親は離婚しています。
 23歳でアドバンテージという不動産ベンチャー企業に就職します。ここからは杉浦会員と同じですので、自称杉浦組永久下僕です。
 親の離婚もあり、平静を装っていましたが、精神的にはぐれていましたので、ほかの友人と同じサラリーマンがいやだったためです。ただ働かないといけないので、なんとなく就職活動していました。また監督のコネで明治大学の職員が内定していましたが、つまらなそうなので断り、親には泣かれました。それもアドバンテージ社の採用試験で、採用担当者が超ロン毛でチャラい話し方で、どうみてもまともな社会人ではないと独自に判断して、仕事も成果次第で報酬が上がるシステムとのことで、大学時代よりももっと上を目指せると思い込んでいたためでした。新橋の学生囲い込みの会食のような場面でそのチャラついた杉浦という採用担当者との腕相撲の惨敗で、チャラついても腕っ節も強いこんな杉浦という方みたいな社会人になろうと思い、入社を決めました。
 すみません、時間調整が出来ず、時間の30分を過ぎてしまいました。この続きは次回の機会にお話します。
 お忙しい中お付き合いいただき、誠に有難うございました。

点鐘・閉会

栗山義広会長

今日のランチ

ビーツの冷製コンソメスープとヴィシソワーズの二層仕立て
仔牛ロースのパネグリエ アンチョビバターを添えて
エンダイブとサマーオレンジのサラダ
ライムとラズベリーのアイスケーキ フルーツ添え
コーヒー
パン
(東武ホテルレバント東京 宴会洋食調理長 佐藤均様)